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番組HPより)
椿鬼奴さんの父は個性的な子だった。一人口ずさむ歌はブルース、あだ名もブルース。我が道をいく男。酒好きの祖父は、信念と努力の人でもあった。丁稚奉公時代から努力を重ね、31歳で京都大学に入り、弁護士として立身出世した。母方のルーツは鹿児島・喜界島。豊かではなかった時代、さまざまな困難を乗り越えてきた祖母。ギャンブルで失踪を繰り返す祖父を見放さず…、その懐の深さは我が道の芸を貫く鬼奴さんの心の支えだった
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椿鬼奴さんの家族の歴史をたどった回です。
父方の祖父は、丁稚奉公をしながら学問を学び、31歳で京都帝国大学に入り、公務員を経て弁護士になった努力家で、頑固で厳しい方だったそうです。
父も鬼奴さんに厳しかったそうですが、ひとりブルースを口ずさむような大人びた子供で、少年時代から我が道をいく男だったそうで、そんなところは鬼奴さんが大いに影響を受けていそうでした。
母方の祖母は、祖父がギャンブルで多額の借金を残して失踪しては戻って来るを繰り返すも、黙って受け入れる懐の深さがあり、どんな苦境も気丈に家族を支えてきた一本芯の通った人だったそうです。
そんな祖母が、鬼奴さんが芸人の道に進んでなかなか芽が出ずにいた頃に味方になってくれたことが心の支えになり、我が道の芸をぶれずにやり続けることができたそうで、鬼奴さんにとってとても大きな存在だったのだと思われました。