お土産「土左(佐)日記」について

- 今日の出来事

今日は木曜日。さて昨日に続いて写真のお土産の土左日記の表側について。高知市の老舗「青柳」はりまや橋(無理して当て字で播磨屋橋)のお土産だ。皆さんも一度は買ったことがあるほど有名菓子。実はこの土左日記は平安時代に紀貫之が日記として実際に土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を綴った内容を持つ日記。
古今和歌集の撰者で三十六歌仙の一人。醍醐天皇の勅命で古今和歌集撰進の中心となった。ところで写真の左端にある、「乎(お)とこ毛(も)春(す)といふ日記といふ物をゝ(を)む奈(な)も志(し)て心みむとてする」
釈:男もすなる日記というものを、女もしてみむとてするなり
紀貫之は勿論、男だが、女の視点に立ってこの日記を書いたとのことだ。当時日記は男性が漢文で書かれていたことが常で、貫之は女性目線で出来るだけ「女手」と言われるかなを多用して堅い日記の今までのイメージを払拭したかったのかもしれません。中国の漢字ばかりの日記より、より日本独自のスタイルに移行し始めたあたりでしょうか?
この土佐日記の始まりの部分はあまりにも有名です。この書は男性が書いたにしては繊細で素晴らしいと思いませんか。
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