今日は水曜日で、皆さんも一度は目にしたことのある今日の写真。土佐日記のお土産の中蓋の書。「みやこへとの(へ)… の造形で、まずがっかり。(-_-;) 続けて…思ふをものゝかなしき者(は)の造形「思」の上の「田」はほぼ楷書体、下の「心」は草書。一文字の中での書体の混同。書家はこんなことはしない! また「ふをものゝか」までのかなは中心が全くとれてなく、2行目の「かへらぬ人の」で「人」と「の」への連綿線… [人]の最終画をこのように書いた場合に書家は絶対ここへの連綿はしない! 続けて「阿れば」の「ば」はそれまでの流れからして全然合ってない。小さすぎだろ! その上にかな書で「ば」のように濁点をつけるかな作家は見たことがない。続けて「なり希(け)里(り)」だが、最後となる「里(り)」をなんでこれまでの流れに逆行するかの如く左に書いたのか、説明せい! 意味が分からない!
極めつけは最後の落款。「紀貫之」とあるが、お前は紀貫之か! 紀貫之はこんなへたくそな字は書かない。こういう際に名前を書くなら「紀貫之のうたを〇〇かく」とするのが人のうたを書く際の礼儀。したがってこの筆者は無茶苦茶ですわ。
以上、お土産の「土佐日記」に龍仙が吠える…でした。