人間関係が持つ言葉の意味は昔と何一つ変わってはいません。
それなのになぜ、これほどまで議論が繰り返され、複雑化していってしまったのでしょうか。
答えは意外と簡単で
「人間関係に求めすぎたから」
だと考えています。
人に色々な事を求めるくせに、薄っぺらい判断基準で何でもかんでも人をかき集めようとするから複雑化していくのです。
その中で人を引き込もうとつくろって歩み寄る姿も、不自然すぎて気持ちが悪いのです。
そう、現代が向かう流れのように、自然なモノが機械化されていくように、人間関係も機械化されてしまい「生産性」が生まれてしまったのです。
そうじゃないはずです。人と人との関係は「自然」なはずです。
分かり合おうと、引き込もうとしなくても、人と人は縁により結ばれていくのです。。。
(おっ、一気に胡散臭くなりましたね!)
だからこそ、過去も現代も人間関係にとって重要な事は変わっていないはずです。
「量」より「質」と言う本質的な意味が。
だからこそ、人間関係が希薄しようが、リセットしたがろうが、実施してしまっても問題ないのです。
なぜなら、探していく必要があるからです。
手に残っていく本物を。
「やり直したってまだやっていけるよ。わたしたちは。」
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人間関係の希薄化の相談相手
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