ブラタモリ

​NHKブラタモリ「東海道“五十七次”の旅▼第三夜 ついにゴールの大阪へ!」

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番組HPより)
江戸と大阪を結ぶ大動脈の全容が見えてくるクライマックス!五十六番目の宿場町「枚方宿」と五十七番目の宿場町「守口宿」、そして大阪市内のある「橋」を目指す!

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東海道“五十七次”のルートを巡るシリーズの第三夜です。

五十六番目の宿場町「枚方宿」、五十七番目の「守口宿」、そして、ゴールの大阪市内を目指しました。

五十六番目の「枚方宿」は、淀川と街道が接するギリギリの場所に宿場町がありましたが、ここに徳川の思惑があり、川のそばに宿場を置くことで、水運により、人や物が集まる便利な場所をつくろうとしたということです。

五十七番目の「守口宿」では、探っていくと、淀川沿いの高い堤防の上に宿場町があったことが分かりました。

この堤防は、じつは豊臣秀吉が築いたもので、これに家康が目を付けたそうです。堤防の下は低地で、淀川が氾濫すると水浸しになる恐れがあるため、堤防の上を東海道にして宿場町を置いたということです。秀吉がつくった堤防を利用する家康のしたたかさがありました。

スタートが江戸の日本橋、五十三次のゴールは京都の三条大橋。
五十七次のゴールはというと、やはり大阪市内の「橋」で、それは「高麗橋」でした。

歌川広重の東海道五十三次が有名になったため、五十七次は忘れられがちですが、徳川の思惑を秘めた重要なルートだったことが良く分かりました。
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NHKブラタモリ「東海道“五十七次”の旅▼第二夜 京都競馬場と石清水八幡宮へ」

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番組HPより)
五十五番目の宿場町「淀宿」へ!京都競馬場の“淀の坂”と石清水八幡宮からの絶景に徳川の思惑がわかる秘密が!?江戸時代の絵図を頼りに知られざる東海道の謎を探る。

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東海道“五十七次”のルートを巡るシリーズの第二夜です。

今回は、五十五番目の宿場町「淀宿」を訪れました。

この淀宿は、隣の伏見宿から4キロしか離れておらず、また、かつて大きな池があった湿地帯で、なぜここに宿場町を作ったのか?その思惑を探りました。

探っていくと、淀宿に沿ってお堀がありましたが、じつはここに「淀城」があり、お城の中を通る東海道のルート沿いに宿場町があったということです。

徳川が本当に作りたかったのはお城で、宿場町はオマケのようなものだと考えられるそうです。

そして、ここに城を置いたのは、近くの石清水八幡宮が関係しているということです。
石清水八幡宮のある場所は、2つの山で挟まれた京都を守る「関門」のような地形で、この関門の地形の前に淀城を構えることで、西の勢力に対する防波堤の役割をする狙いがあったということで、なぜここに作ったのか思惑がよく分かりました。
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​NHKブラタモリ「東海道“五十七次”の旅▼第一夜 京都・三条大橋から伏見へ」

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番組HPより)
三夜連続SPの第一夜!江戸時代の絵図を頼りにタモリが知られざる東海道の謎を探る。五十四番目の宿場町は超巨大

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東海道“五十七次”のルートを巡るシリーズの第一夜です。

東海道には五十三次とは別ルートの五十七次があるということです。

徳川幕府が整備した知られざるもう一つの東海道で、そこには徳川幕府の深い思惑があるということで、五十七次のルートを巡りながらその思惑を解き明かしました。

五十三次は、江戸からスタートして京都がゴールですが、滋賀・大津に分岐点の三差路があり、そこから分かれて大阪をゴールとするルートが五十七次だということです。

なぜ大津で道が分かれているのか?
ここに徳川の第一の思惑があり、それは京都を通らないルートにしたためで、参勤交代で大名たちが東海道を通る際、天皇のいる京都を通らないようにすることで、朝廷と接触させないようにして反乱を防いだということです。

五十四次目は京都の伏見で、「伏見宿」は東海道最大級の宿場町だったそうです。巨大な宿場町であるのは、宿場町ができる前から豊臣秀吉が作った巨大な城下町だったことにあり、家康がそのまま引き継いで宿場町にしたそうで、ここにも思惑がひそんでいて家康の巧みさを感じました。
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