映画・テレビ鑑賞

観た映画・テレビの感想やメモを簡単に書き留めています。映画は主にテレビで鑑賞。 ・・・

ブラタモリ

​NHKブラタモリ「鹿児島・指宿~指宿のわっぜぇ火山は歴史を動かす!?~」

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番組HPより)
指宿はわっぜぇ(すごい)火山だらけ?訪れたのは鹿児島・指宿。旅のお題「指宿のわっぜぇ火山は歴史を動かす」を探る。

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鹿児島県指宿市を訪れ、指宿はわっぜぇ(すごい)火山が歴史を動かしたというお題を解き明かした回です。

シンボル的な山・開聞岳をはじめ、指宿は火山だらけで、カルデラ湖など幾つもの火口の跡が地図上からでも分かり、火山の密集地帯であることがよく分かりました。

その一つ、海側にある火口跡は、火口がそのまま港になった場所で、そのため湾の水深が深く、大型船が入ることができ、日本の南端に位置することもあって、古くから国際貿易港としてにぎわっていたそうです。そして、この港がきっかけで日本を訪れたのが宣教師ザビエルで、日本の歴史が大きく動いていくことになったということでした。

他にも、江戸時代の飢きんの際にサツマイモが人々を救った話や、縄文土器が弥生土器より古いことを発見した話など、指宿の火山が関係していたということで解説がありました。

最後に、じつは指宿にはもっと驚きの火山があったということで解説があり、まさにわっぜぇ(すごい)お話でした。
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​NHKブラタモリ「奈良・正倉院~なぜ1,300年もお宝を守れた?~」

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番組HPより)
訪れたのは奈良・正倉院。正倉院は何がスゴイのか?タモリさんが正倉院に実際に入って解き明かす。

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奈良・正倉院を訪れ、なぜ1300年もお宝を守れたのか、解き明かした回です。

正倉院は、東大寺・大仏を造立した聖武天皇が愛用した品などを納めたのが始まりで、奈良時代の9千点もの宝物が納められているということです。

実は、ここに納められている宝物は、国宝が1つもないそうです。
国宝に指定するのは、宝物が改変などをされたりする恐れがあるため、国宝に指定して改変などができないようにするためだということです。
正倉院の宝物は、宮内庁が管理しているため、そのような恐れがなく、国宝に指定する必要がないということでした。

番組では、実際に正倉院の中に入って、天井が低く2階建てになっている倉の中の様子に触れることができました。

なぜ1300年もの長い間、お宝を良好な状態で守ってこられたか?
建物として、校倉造りで大量の木材を使っているため吸湿性能が高いこと。正倉院の扉を開けるには天皇の許可が必要であること。高い場所にため池をつくって高低差を生かして放水する防火対策など、宝物を守るいろいろな工夫や対策がなされているということで解説があり、過去から受け継いできたものを将来へ伝えていこうという携わる人々の思いを感じました。
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NHKブラタモリ「鎌倉の寺~北条氏の寺でわかる!鎌倉幕府の偉業とは~」

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番組HPより)
「鎌倉殿の13人」に登場した北条氏ゆかりの寺めぐり!タモリさんがブラブラ歩いて解き明かす。

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北条氏ゆかりの寺を巡りながら、鎌倉幕府の偉業を探った回です。

鎌倉幕府を執権として16代、120年に渡って統治した北条氏は、鎌倉にゆかりのあるお寺が多いということです。

代表的なお寺・建長寺も、5代執権の北条時頼が建立したものだそうです。

建長寺を見て回ると、ご本尊や儀式が中国風など、中国の文化を取り入れたところがたくさんありましたが、これは建長寺が中国の当時最先端のお寺を完全コピーしたものだということです。

その他にも、けんちん汁は、諸説ありますが、建長寺発祥のものとされるそうです。

北条氏はこうした新しい文化を中国から取り入れ、鎌倉から京都にさまざまな影響をもたらしたということです。

また、北条重時が建立した極楽寺は、当時は巨大な寺院で、興福寺、東寺、室生寺など寺院や熊野三山など、日本を代表する寺院や霊場が集まったような一大コンビナートのような寺だったそうです。

専門家の説では、元寇のとき、攻め込んできたモンゴル帝国から関西の寺社や霊場を守ろうとして、鎌倉の極楽寺にこれらのコピーをつくったのではないかということです。

鎌倉の大仏も、奈良の大仏をコピーしてつくられたものではないかという説で、北条氏による壮大な文化的な疎開事業で、鎌倉幕府の偉業がよく分かりました。
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NHKブラタモリ「鎌倉~頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?~」

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番組HPより)
鎌倉の町は源頼朝がつくった!?町作りの始まりは鶴岡八幡宮から!小町通りを流れる川を頼朝が利用!?タモリさんがブラブラ歩いて解き明かす。

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鎌倉を訪れ、頼朝の町づくりを探った回です。

源頼朝は、鎌倉に日本初の本格的な武士の都をつくったということです。

鎌倉は、先祖がいた源氏ゆかりの土地ということから、ここに都をつくったそうですが、谷の地形で、かなり湿地っぽい場所だったそうです。

水はけが悪かったため、参詣道を一段高くしたり、都を囲むように排水溝となる外堀を設けたり、徹底した湿地対策が行われていて、頼朝がデベロッパーとして緻密な町づくりをしていたことがうかがえました。

最後に、頼朝が武士の都づくりの総仕上げとして建てたと考えられる、永福寺というお寺の跡を訪れました。当時の姿を再現したCG図が紹介され、京都宇治の平等院鳳凰堂に似た立派なお寺でした。

平等院と同じように、極楽浄土を表現した池の庭園もありましたが、石の配置を頼朝自らが細かく指示していたそうで、頼朝のこだわりが感じられました。
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​NHKブラタモリ「秘境!黒部峡谷~黒部の絶景は電源開発の軌跡にあり?~」

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番組HPより)
富山・黒部峡谷。絶景に次ぐ絶景!電源開発の工事用ルートで秘境をゆく。

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富山・黒部峡谷を下流から上流へ旅しながらお題を解き明かした後編です。

峡谷の黒部川では、100年前からダムなどの電源開発が行われていたということです。

水力発電は、ダムと発電所がセットで、水が流れ落ちる力を利用して発電するそうです。そのために必要なのが高低差ですが、黒部川は日本有数の急こう配で、さらに水量が豊富で、水力発電に適した川だということです。

発電所は黒四(黒部川第四発電所)まであり、今回訪れた黒二や黒三のほか、新黒二や新黒三もあり、黒部川の水を最大限活用して発電しているということです。

建設当時は、あまりの急こう配のため資材を人力で運んだり、マグマの通り道近くのため160℃もの高熱の岩盤を水をかぶりながら掘り進めたりしたそうで、大変な労力と時間をかけて築かれたものだということを知りました。

電源開発の軌跡をたどりながら下流から約50キロの旅をして最後にたどり着いた黒部ダムからの眺めは、壮大なものに感じられました。
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​NHKブラタモリ「絶景!黒部峡谷~黒部の絶景は電源開発の軌跡にあり?~」

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番組HPより)
今回の舞台は富山・黒部峡谷。ローカル鉄道とトロッコ電車でゆく!
旅のお題「黒部の絶景は電源開発の軌跡にあり?」を探る。

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富山・黒部峡谷を訪れ、お題を解き明かした回の前編です。

お題の「電源開発」とは発電所やダムのことで、黒部峡谷というと昭和38年に完成した水力発電設備「黒部ダム」が有名ですが、それ以前の大正時代から黒部峡谷ではいろいろ電源開発が進められてきたそうです。

今回、黒部川の下流からスタートし、上流にある黒部ダムを目指して、ローカル鉄道やトロッコ電車を乗り継いで川をさかのぼる50キロもの旅で、2週に渡る内容でした。

こうしたローカル鉄道やトロッコ電車は、電源開発に必要な資材を黒部峡谷に運ぶために設けられたものだそうです。それらが観光用の電車として一般に開放されて、黒部峡谷の絶景を楽しむことができるようになったということです。

ルートの途中、峡谷の絶景の中に宇奈月温泉があり、立ち寄りましたが、ここも、もともと資材置き場や作業員の宿舎があった場所だったそうです。その跡地を利用して電源開発会社が温泉街をつくったのだそうで、まさに電源開発によって触れられるようになった絶景でした。
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NHKブラタモリ「東京・世田谷~なぜ人は世田谷に住みたくなる?~」

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番組HPより)
今回の舞台は東京・世田谷。サザエさんの町・桜新町は住宅街の先駆け?世田谷には中世のお城が?タモリさんがブラブラ歩いて解き明かす。

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東京・世田谷を訪れ、お題を解き明かした回です。

世田谷は、東京23区の人口がダントツ1位だそうで、なぜ人はここに住みたくなるのか解き明かしました。

やはり地形が関係していて、かつての多摩川の流れによって削られた台地になっていて、すぐ下りれば水場があり、すぐ上がれば安全な台地があるということで、このあたりには縄文時代の遺跡が多数あり、縄文時代から人が暮らしやすい場所だったそうです。

室町時代には、突き出た舌状台地に、足利市の親戚・吉良氏がお城を建てたそうで、その城跡が残っていましたが、世田谷にお城があったというのは意外でした。

明治時代になると、農村から住宅地へと転換されたといことですが、
そのきっかけとなったのが鉄道だそうです。鉄道が通ったことで、沿線に住んでいた人が住みやすいこの場所に移り住んできて、鉄道網が張り巡らされたことで、多くの人が住むようになったということでした。

最後にタモリさんが、初めて世田谷線に乗って楽しそうでした。
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NHKブラタモリ「東京・目白~目白ブランドの正体とは?~」

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番組HPより)
東京・目白。目白ブランドは江戸の観光スポットが起源?学習院大学はなぜ目白に?タモリさんがブラブラ歩いて解き明かす。

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東京・目白を訪れ、目白ブランドの成り立ちを解き明かした回です。

新宿と池袋の間にありながら、どこか上品で落ち着いた雰囲気のある目白。

そんな目白ブランドの起源は、江戸時代にあるということでした。
3代・徳川家光が定めた五色不動(目黒、目白、目赤、目青、目黄)の一つ、目黒不動尊が地名の由来ということです。

江戸時代、目黒不動尊のあった場所は高台にあって眺めも良く、人気の観光スポットだったそうです。さらに、大名たちが、風光明媚なこの場所に住み始め、大名屋敷が立ち並んで、目白のブランドが高まったそうです。

そして、目白ブランドを定着させたのが学習院大学だそうです。
もともとは京都御所にあった華族への教育を目的とした教育機関で、その後、東京に学校ができて、最終的に目白の地がキャンパスになったということです。

最後に学習院の昭和寮が紹介されましたが、当時最先端のスペイン建築のつくりだという、白亜の昭和モダンという感じのおしゃれな寮で、目白ブランドを感じさせる素敵な建物でした。
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​NHKブラタモリ「鯖街道・京都へ~鯖街道は何を運んだ?~」

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番組HPより)
福井県の小浜と京都を結ぶ鯖街道。鯖街道の起点はなぜ小浜に?
タモリさんが謎解きしながら72キロの街道をゆく。

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小浜(福井県)と京都を結んだ鯖街道をたどりながら、お題を解き明かした回です。

鯖街道は、サバだけじゃない、さらに重要な役割を担った道だったということで、それが何かを探りました。

第一は、港町・小浜で捕れた豊富な海の幸で、新鮮なサバや魚介類をわずか1日で京都へ届けることができたそうです。

それだけでなく、鯖街道は日本海側の各地と京都を結ぶ物流の大動脈で、日本海側の各地から集まったあらゆるものが運ばれていたそうです。
そして、物だけではなく、ある歴史上の人物も護衛付きで運ばれたということでした。

小浜と京都を一直線で結ぶ最短ルートもありますが、それだと険しい山を越えなければならなかったそうです。メインルートは、少し迂回しますが、谷筋を通る平坦な道が続いていて、このルートがあったことで、大量の荷物を運ぶことができたということです。

このメインルートの谷筋の道は、2つの断層によって開かれた道で、この2つの断層があったからこその奇跡的な道だということが解説されて、よく分かりました。

タモリさん一行は、小浜からスタートして、最後、京都にたどり着き、祇園の料亭で鯖寿司を堪能して満足そうでした。
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