NHK歴史探偵「関ケ原の敗者、逃げる!」

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番組HPより)
石田三成の命日の夜、関ヶ原の戦いで敗れた武将たちの「逃亡劇」をお届け!三成、小西行長、島津義弘の足跡を調査し、あなたの知らない「戦国の侍のリアル」を伝える。

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関ヶ原の戦いで敗れた武将たちの逃亡の足跡を調査した回です。

敗れた西軍の将、石田三成、小西行長、島津義弘が、どこへ、どう逃げたのか、追跡しました。

石田三成は、わずか3人の家臣とともに逃げ、最初は居城である近江の佐和山城に向かいますが、徳川の追手が来て落城することが予想されたため、進路を北へ変更。途中、3人の家臣とも別れ、母の出身地である滋賀・長浜の山奥に入ったそうです。
ここは、光成が幼少の頃に過ごし、地理も分かっていた故郷の地で、山の中の洞穴にしばらく隠れていましたが、やがて徳川方に知られて、合戦の6日後に捕縛されたということです。

キリシタン大名・小西行長は、平家の落ち武者の隠れ里・岐阜県揖斐川町に逃げ隠れますが、合戦の4日後、村人たちが徳川に引き渡したということです。

薩摩の島津義弘は、最も長い距離を逃げたそうです。
1500人の家臣たちに逃亡のサポートを受けながら、東軍の追手を振り切り、山道を進んで、5日後に大阪・堺の港に着き、そこから船で九州へ向かい、そして、19日後、薩摩に到着。じつに1300キロの逃走劇だったそうです。
それから、徳川と島津家の交渉の末、家康は、島津家が謝罪すれば、義弘の命はとらないと約束したそうです。

戦いに敗れた後、それぞれの武将たちが再興を願って懸命に生き延びようとした足跡を知りました。
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