​NHK歴史探偵「上杉鷹山 なせばなる」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
江戸時代の名君として知られる米沢藩の上杉鷹山。人口減少と財政破綻に陥った藩の危機を救った先進的な政策の数々。鷹山の政治が、令和の日本に問いかけるものとは?

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米沢藩の上杉鷹山(ようざん)が行った藩の改革を調査した回です。

上杉鷹山は、江戸時代の名君として知られ、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の有名な言葉を残した人物だそうです。

江戸中期、飢きんが立て続けに起こるなどして、米沢藩では人口減少に陥り、人口が減少したことで年貢も減少し、財政難で借金するまでの苦境だったそうです。

17歳で藩主になった鷹山は、改革に着手しますが、領民の実情とそぐわぬ政策だったため、計画はうまくいかず、35歳で藩主を退いたということです。

鷹山が引退した後も藩の財政は改善せず、そんな中、老中からの依頼を受け、新しい藩主を補佐しながら再び改革に取り組んだそうです。

最初の改革の失敗から、「領民の暮らしが良くなれば、おのずと人も増えよう」ということに気がつき、まず役人を派遣して農村各地の実情を把握し、農民の生活を安定させる政策を行ったそうです。

その政策は、今で言えは、子ども手当や地域福祉、結婚支援といったものだったそうです。

こうした取り組みにより、領民の暮らしが安定し、藩の状況はV字回復。現代に通じる先進的な政策を行い、藩の危機を救った名君でした。