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番組HPより)
五十五番目の宿場町「淀宿」へ!京都競馬場の“淀の坂”と石清水八幡宮からの絶景に徳川の思惑がわかる秘密が!?江戸時代の絵図を頼りに知られざる東海道の謎を探る。
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東海道“五十七次”のルートを巡るシリーズの第二夜です。
今回は、五十五番目の宿場町「淀宿」を訪れました。
この淀宿は、隣の伏見宿から4キロしか離れておらず、また、かつて大きな池があった湿地帯で、なぜここに宿場町を作ったのか?その思惑を探りました。
探っていくと、淀宿に沿ってお堀がありましたが、じつはここに「淀城」があり、お城の中を通る東海道のルート沿いに宿場町があったということです。
徳川が本当に作りたかったのはお城で、宿場町はオマケのようなものだと考えられるそうです。
そして、ここに城を置いたのは、近くの石清水八幡宮が関係しているということです。
石清水八幡宮のある場所は、2つの山で挟まれた京都を守る「関門」のような地形で、この関門の地形の前に淀城を構えることで、西の勢力に対する防波堤の役割をする狙いがあったということで、なぜここに作ったのか思惑がよく分かりました。