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番組HPより)
江戸時代の日本は本当に「鎖国」だったのか?長崎、北海道、鹿児島、対馬の4つの窓口を徹底調査する。
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江戸時代、海外に開かれた4つの窓口を調べ、鎖国の真相に迫った回です。
長崎はよく知られていますが、それ以外に、北海道、鹿児島、対馬も、外国との窓口に当たる場所だったということです。
「長崎」の出島は、幕府が造った人工の島で、オランダ人たちが住んでいたそうです。江戸時代、西洋の国で唯一交易を許されたのがオランダで、出島で交易していましたが、そのとき間に立って交渉した「オランダ通詞」という通訳たちがいたそうです。
オランダ通詞たちはオランダ語を訳せればよかったわけですが、ある事件があって、幕府から英語やロシア語など「多言語をマスターせよ」という命令があり、他の言語の習得が必要になったそうで、1人のオランダ通詞が言語習得に奮闘したエピソードの紹介がありました。
北海道は、当時、蝦夷と呼ばれて外国のように考えられていて、本州に近い北海道最南端の「松前」が、蝦夷の玄関口になっていたそうです。
大陸に位置が近い「薩摩」では、当時の琉球王国(現沖縄)を通じるなどして中国(唐)との交易があり、「サツマ」の名前が付いたあの食材も大陸から渡って来たものだということで、ちょっと意外に思いました。
また「対馬」は、韓国とわずか50キロの距離にあり、古くから朝鮮半島との交易が行われてきたということです。朝鮮政府は、対馬藩に限って貿易をすることを許可し、「倭館」という韓国の出島に相当する場所で、対馬の人々が朝鮮に渡って交流していたそうです。
江戸時代、鎖国という状態で制限されていましたが、長崎の他にも、いくつか日本が外に門を開いていた場所があって、こうして諸外国との交流があったことを知りました。