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番組HPより)
白村江の戦いを徹底調査!古代日本が海の向こうで戦った理由を追って現地の韓国へ。戦場と思われる地では驚きの光景が…飛鳥時代の歴史的戦闘の真相に迫る。
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古代日本が唐・新羅の連合軍と朝鮮半島で戦った「白村江の戦い」の実像に迫った回です。
633年の飛鳥時代、大化の改新の際中に行われた謎の多い戦いだということで、今回、戦いの舞台となった韓国(当時・百済)の白村江を訪れて調査しました。
当時は、中国は唐、朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の三国時代。
その中で、百済と古代日本は、緊密な文化交流をしていて密接な関係だったと考えられるそうです。
ところが、唐と新羅の連合軍によって攻め込まれて、百済は滅亡。
百済の復興を目指して立ち上がった百済復興軍を助けるため、古代日本は朝鮮半島に援軍を送り、白村江で戦ったということです。
しかし、戦いの十分な準備をしたにもかかわらず、海岸で待ち受けていた唐の水軍に一方的に攻められ、大敗北を喫したということです。
現地の戦った場所を訪れると、一面の干潟だったことが分かりました
ここは干満差7mにもなる非常に干満の差が大きい場所で、地の利がない日本軍は、干潟で船が身動きがとれなくなり、惨敗したということです。
白村江の敗北はその後の日本に大きな影響を与え、天智天皇(中大兄皇子)のもと、強力な中央集権国家へと生まれ変わっていったそうです。
官僚を育成したり、初めて戸籍を作って村人を把握したり、古代日本の名称を「倭」から初めて「日本」と名乗ったのもこの時期からだそうで、日本を大きく変えるきっかけとなった戦いだったことを知りました。