(
番組HPより)
舞台は北海道・稚内。稚内の暮らしは過酷?江戸時代の稚内は海外へ開かれた窓だった?
---
北海道・稚内市を訪れ、お題を解き明かした回です。
択捉島のほうが最北のため、稚内は厳密には最北端ではないということですが、一般には“最北の町”と呼ばれているそうです。
稚内は、2つの岬が海に飛び出したキツネのような形をしていて、この2つの耳のような岬がポイントだということで、これらを巡りました。
まず、右耳の地域にある宗谷丘陵を訪れました。
この丘陵には幾つもの風力発電が立ち並んでいて、全国屈指の風力発電地帯だそうで、稚内はとにかく風が強いということです。また、寒さが厳しく、寒さと強い風で高い木が育たないほどで、農作物の栽培もほとんど行われていない過酷な環境だそうです。
最初、この右耳の地域が発展したそうです。
右耳は、樺太(サハリン)に近い場所にあり、江戸時代、交易により、樺太を経由して大陸から物資が入ってきて、稚内は外国の物が手に入る貴重な町だったそうです。
一方、今の暮らしの中心は、左耳の地域だそうです。
埋め立てに適していて大きな港をつくることができ、発展したということです。
昭和の半ばに樺太との物流交易が途絶え、稚内は衰退するかと思われましたが、漁業が盛んに行われるようになって、ほたて・ほっけ・たこの水揚げ量1位を誇るなど、現在の暮らしの中心は漁業になっているそうです。
稚内の強い風は、魚を乾かすのに適していて、干物も盛んに作られているそうで、過酷な環境を逆に味方にして人々が暮らし続けるたくましい町でした。