(番組HPより)
聖徳太子が亡くなって1400年。太子創建の法隆寺は、なぜ今も輝き続けるのか?法隆寺が存続した秘密を探る。
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法隆寺の創建から現在まで存続してきた歴史や秘密を探った回です。
法隆寺は、もともとは聖徳太子の父・用明天皇が自らの病気平癒を願って寺と薬師如来像をつくろうとしたものだということです。しかし、完成することなく用明天皇が亡くなったため、その遺志を継いで607年に推古天皇と聖徳太子が建立したとされるそうです。このため当初は、薬師如来像が本尊として創設されたお寺でした。
しかし、670年の火災で寺が焼失。寺は経済的困窮に陥ったため、新たに聖徳太子を信仰する寺へと生まれ変わることで存続を図ろうとし、太子信仰とするため再建後は釈迦三尊像が本尊となったということです。
経済的困窮の中での再建は容易ではなく、満足な部材をそろえることができず、火災で残った心柱の部材を再利用したりした痕跡が見られるそうで、厳しい経済事情だったことがうかがえました。
再建後、太子信仰は広まりを見せ、平安時代には聖徳太子の様々な伝説が生み出されるなど神格化が進み、鎌倉時代以降も高層・親鸞によってさらに太子信仰が広がっていったということです。
しかし明治時代、新政府の神仏分離令を機に仏教排斥の動きが広がり、寺や仏像が破壊される危機に直面し、寺は再び経済的危機に陥ったそうです。そんなとき、皇室に300点あまりの宝物を治めることで貸金を得て、寺の修復などに充てたということでした。
1400年の間、幾度も危機を乗り越えてきた歴史を知り、携わった人々の太子への思いに触れました。