(
番組HPより)
ドラマでおなじみ「水戸黄門」こと徳川光圀の実像を徹底調査!浮かび上がった諸国漫遊の真の目的とは!?さらに死後、思わぬ形で明治維新の原動力になったことが明らかに。
---
徳川光圀の実像に迫った回です。
34歳で水戸藩2代藩主に。63歳で隠居して「権中納言」に任じられ、この中納言の中国での呼び名が「黄門」で、それが水戸黄門の由来だそうです。
水戸黄門のイメージは、ドラマの影響から、正体を隠して全国を旅し、悪人を成敗、人助けをして世直しをするイメージが広く知られています。
ところが、実際は光圀は全国を旅しておらず、調べてみると、水戸の領内をあちこち回っていたことが分かりました。
これは、水戸藩が山がちで耕作地が少ないという深刻な事情を抱えていて、米作り以外の新たな産業を生み出す必要があり、領内各地にある作物を調査するために回っていたということでした。
一方、光圀は領内しか旅していませんが、助さんのモデルとなった人物・佐々宗淳は、ある調査をするため、全国を旅していたそうです。
その調査は、光圀の命で「大日本史」という歴史書を作るためのもので、その編さん作業をしていたのが、格さんのモデル・安積澹泊だったそうです。
光圀は、過去に歴史を学んだことで救われた経験があり、歴代の天皇ごとに事績をまとめた「大日本史」という全231冊の壮大な歴史書を作ったそうです。
こうした天皇の歴史をまとめる作業は、光圀の考えに影響を与え、さらに光圀の死後の幕末、光圀の思想が吉田松陰らに影響を与えて、明治維新の原動力になったそうです。
実像はドラマのイメージとは違いましたが、ドラマとは違う形で世のために尽くし、後の歴史の流れを大きく変えた人物でした。