NHKブラタモリ「合体都市・北九州~合体メガタウン!北九州市誕生の秘密とは?~」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
北九州の後編。タモリさんがブラブラ歩いて解き明かす。

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北九州市誕生の秘密を解き明かした後編です。
今回は、若松と八幡を中心に巡りました。

若松は、明治時代から、筑豊炭田からの石炭の日本一の積み出し港として繁栄したそうです。その繁栄の証として、「洋館付加住宅」という和風の家に洋館が一部付いた住宅が、街のあちこちに今も残っていました。

八幡は、明治34年に日本初の本格的な官営八幡製鉄所がつくられたことで、急速に発展したということです。

鉄は近代化の要で、製鉄所は一大国家プロジェクトだったそうですが、なぜ八幡につくられたのか?、いろいろと経緯があって面白かったです。

鉄を作るのに大量の石炭が必要ということで、筑豊炭田があるこの地域が選ばれ、そして八幡と門司が最終候補地となったそうですが、地形的な条件として、門司が有利で、八幡は絶望的だったそうです。

ところが、ある4人の有力者の働きかけで、大どんでん返しで、八幡への誘致に成功したということです。

じつは、この4人は筑前の出身で、豊前の門司にではなく、筑前の八幡に何としても製鉄所を置こうとしたということで、ここにも筑前と豊前という2つの国の意識が関係していました。


ここからどうやって北九州市が誕生したか?
明治44年に、各市をまたいで路面電車ができたことがカギということでした。

路面電車ができたことで、路面電車から電力をもらうため、電車道に沿って工場が立ち並ぶようになり、一帯は北九州工業地帯と呼ばれるようになったそうです。

市の堺があると、税制や水道の有無などが市によって違って発展のさまたげになることから、市の堺を取り払って、北九州工業地帯が一体となって発展するため、北九州市が誕生したということです。

さまざまな経緯を経て、北九州市が誕生したことがよく分かりました。
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