(番組HPより抜粋)
宮沢賢治は、25歳のときから4年あまり、地元岩手の農学校の教師を務めた。
貧しい暮らしのもと、明るい未来を思い描けない生徒たち。
そんな生徒たちに希望を持たせ、そして農村を豊かにしていくために自分は何ができるのか?
賢治は「みんなの本当の幸い」のために、たとえ周囲の理解が得られなくても、時代の逆風が吹いても、前に進もうとする。
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宮沢賢治が農学校の教師だった頃の理想と葛藤に迫った回。
童話作家というぐらいしか知らず、教師の時代を中心にその生涯をたどった番組で興味深く見ました。
当時の貧困に苦しむ東北の農村の荒廃を目の当たりにした賢治は、本当の幸せとは何か?を模索し、教師の仕事を通して、東北の農村を自分の手で変えようという理想に燃えるようになったということでした。
しかし、裕福な家庭に生まれ農家の本当の苦しみを知らない自分に教える資格があるか自問し、教師を続けるべきか葛藤していたということでした。
理想の実現のために前に進もうとしますが、道なかばに。
その時代を生きるには不器用で、実践家としては哀れなくらい無力だったそうですが、長期のスパンで未来を考えた時に、これほど鋭い刀(言葉)を持った人はいない、と出演者の方たちが言っていたのが印象に残りました。