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番組HPより)
「父方のルーツについてはほとんど知らない」という中村雅俊。江戸時代の先祖の足跡、祖父・父の人となりを初めて知る。行商、スナックの経営など必死で働いた母の人生を振り返り、思わず目を潤ませた。
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中村雅俊さんの家族の歴史をたどった回です。
雅俊さんが4歳のときに父親が亡くなり、母親に女手一つで育てられたそうです。特に父のことや、父方のルーツはほとんど知らないということで、入り込んで見られていました。
父方・中村家は、雅俊さんの出身である宮城県女川町へ祖父の代のとき移住してきて、港町として発展していくこの町で、父はかつおぶし職人や水産加工の仕事をしていたそうです。父はとても真面目な人だったそうで、雅俊さんがそういう真面目なところは自分も似ていると言って感慨深そうでした。
母方・木村家は、祖父の代までは裕福な暮らしをしていた名家だったそうですが、ある出来事をきっかけに没落して経済的に苦しくなり、母は若い頃から苦労された方でした。
父と出会って結婚してからも、父が病気で40歳で急逝して、3人の子供を独りで育てなければならなくなり、また不運な出来事もいろいろとあって大変苦しいものでした。それでも持ち前の負けん気の強さで、行商や八百屋・雑貨屋、スナック経営をして子供たちを育て上げて、たくましい方でした。
そんな母の頑張りに応えるように、雅俊さんは慶応大に入り、俳優や歌手など多方面で活躍されるようになって母はとても喜んだそうで、雅俊さんも「親孝行のかたちになった」と話されて、よかったと思いました。