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番組HPより)
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で北条義時の前に立ちはだかる後鳥羽上皇。あらゆる分野で頂点を極めた最強の上皇の秘密を徹底調査。承久の乱に至る波乱の生涯に迫ります。
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後鳥羽上皇の足跡をたどりながら、その波乱に満ちた生涯に迫った回です。
上皇が何歳の時にどういう出来事があったか、解説しながら生涯をたどって分かりやすかったです。
4歳で天皇に即位。19歳で上皇として院政を開始。
42歳で承久の乱に敗れて隠岐に流され、60歳で隠岐でこの世を去ったということです。
後鳥羽上皇は、なぜ執権・北条義時の追討を計画し、承久の乱を起こしたのか?人生の中で、3つのターニングポイントがあるということでした。
それらは、6歳の「壇ノ浦の戦い」、21歳の「水無瀬離宮を造営」、40歳の「源実朝暗殺」だということです。
波乱のはじまりは6歳の時の「壇ノ浦の戦い」で、戦いの中、「三種の神器」が海に沈み、三つのうち「勾玉」と「鏡」は回収できましたが、「剣」は見つからない事態に。この後、神器なしに即位した異例の天皇として貴族たちからささやかれ、後鳥羽上皇が生涯抱えるコンプレックスになっていったと考えられるそうです。
そして、承久の乱を起こす決め手となったのが、40歳の時の「源実朝暗殺」の事件で、これを機に良好だった鎌倉幕府との関係が崩れ、義時追討の兵をあげたということです。
承久の乱では、上皇はわずか1か月で大敗したそうですが、負けた理由に、兵士に与える褒美の違いがあったと考えられるそうです。
上皇は褒美として名誉や官職を与えるとしたのに対して、義時は土地を褒美として与えるとし、このとき迷っていた武士たちが義時を選び、後鳥羽上皇は読み違えたということです。
とても優れた人物だったそうですが、武士が存在感を強めてきた時代で、時代に翻弄されたのは不遇に思われました。