時を超え「西の都」再び光 大宰府政庁跡
産経ニュース
新元号「令和」ゆかりの地、福岡県太宰府市の大宰府政庁跡を紹介しています。
山の上から見渡すと、古代に九州を管轄する地方最大の役所だった大宰府政庁跡はきれいな長方形をとどめています。
大宰府は、東アジアとの外交や貿易、軍事防衛の拠点を担い、政庁を中心に、人と物と文化が交流する国際色豊かな「西の都」として栄えたそうです。
天平2(730)年、大宰府の長官だった大伴旅人は、そんな華やかな空気のなかで梅の花をテーマに歌会「梅花の宴」を開催。令和の由来となった万葉集の序文は、宴を詠んだ歌に添えられたものだといいます。
大宰府の終焉(しゅうえん)は明らかではないといいます。
律令国家から武士の時代に移るなかで衰退していったとみられ、しかしその後もこの地は浮き沈みがありながらも、特別な場所として地元の人に大切にされてきたといいます。そして今、1300年の時を超えて西の都に再び光が当たっています。